132,951台。だが、この数字をそのまま受け取るのは早い
4月5日、バンコク・モーターショー2026の最終予約台数が発表された。132,951台。前年比71.8%増。BYD 17,354台で全ブランド首位、トヨタ 15,750台で2位。タイのメディアは「中国車がサムライの血筋を恐れず市場リーダーを追い抜いた」(AutoSpinn)と報じた。
衝撃的な数字に見える。だが予約台数の構造を分析すると、かなり違う景色が浮かび上がる。
「予約」は「販売」ではない
モーターショーの予約台数は、各メーカーが自己申告した数字を運営会社GPI(グランプリ・インターナショナル)が集計して発表する仕組みだ。運営側が一件ずつ検証しているわけではない。Bangkok Postの報道でもデータソースは「Show organisers」と記されており、独立した監査は入っていない。
そもそも報告しないブランドもある。2026年はTeslaとYamahaが非公表。2025年にはBYD/DENZAとタイホンダが途中経過を報告せず、最終日にまとめて数字を出した。
Nation Thailandも指摘しているが、複数台を比較目的で予約する消費者、キャンセル、ローン不承認の問題があり、最終的な購入確定数は不透明なままだ。thaiautonews.netの匿名セールスマンは「一部ブランドではローン審査の却下率が37%に達する」と証言している。
なぜ今回だけ71.8%増なのか
132,951台という異常な増加には、明確な外部要因がある。
2026年3月末、中東情勢の悪化(米イラン対立、紅海・ホルムズ海峡の航行障害)で原油価格が急騰。タイではディーゼル価格がリッターあたり50バーツの大台を突破した。1週間で6バーツ超の急騰。ガソリンスタンドでは燃料の買い占めが発生し、1日の全国燃料消費量が通常の6,700万リットルから8,000万リットル超に跳ね上がった。
このタイミングが、まさにモーターショーの会期(3月25日〜4月5日)と重なった。
消費者心理はシンプルだ。ディーゼルが50バーツなら、次の車はEVにしよう。Kasikorn証券の分析によれば、今回のモーターショー予約の約60%がBEV(バッテリー式電気自動車)だった。アヌティン首相がBYD Sealion 7で3日連続出勤するパフォーマンスを行ったのも、まさにこの燃料危機の最中だ。
つまり71.8%増は、14日間のイベントに燃料危機というパニック的な外部要因が重なった結果であり、タイの自動車市場の実力値を反映した数字とは言いがたい。
「EVなら燃料費ゼロ」の不都合な前提
ディーゼルが高いからEVにする。一見合理的だが、ここには見落とされている構造がある。
タイの電力の約85%は化石燃料(主に天然ガス)で発電されている。原油価格が上がれば天然ガス価格も連動し、遅かれ早かれ電気料金に転嫁される。EVなら燃料費ゼロという理屈は、電力源が化石燃料に依存している限り、コスト転嫁のタイミングが遅いだけだ。本質的な解決にはならない。
意外と知られていないのが、タイの電気代の国際的な位置づけだ。
GlobalPetrolPrices.com(2025年9月データ)によると、タイの家庭用電気料金は約0.125 USD/kWhで、日本(約0.223 USD/kWh)の約56%。グローバルで見れば安い方だ。日本からタイに来た人は「電気代が安い」と感じるだろう。
だがアジアの中では話が違う。タイの電気料金はアジア平均の157%と突出して高い。マレーシア(約0.06〜0.08 USD/kWh)やベトナム(約0.08 USD/kWh)の1.5〜2倍。EVの充電コストで考えると、タイでEVを走らせるコストはASEAN近隣国より明らかに高い。原油高が続けば、この差はさらに広がる。
Maverick Consulting Groupの分析も「タイは電力の85%を化石燃料から生成しており、再生可能エネルギーの加速なしにはEV転換の環境的・商業的整合性が成り立たない」と指摘している。
ここに日系メーカーのハイブリッド戦略の合理性がある。ハイブリッド車は電力インフラに依存せず、燃費効率で内燃機関車を大きく上回る。充電インフラが未整備な地方部やチェンマイのような山間部では、BEVよりハイブリッドの方が現実的な選択肢であり続ける。
オートローン却下率30〜40%というFTIの数字
燃料危機でEVへの関心が高まっても、ローン審査が通りやすくなるわけではない。むしろ逆だ。
タイ工業連盟(FTI)は、タイのオートローン却下率が申請全体の30〜40%に達すると公式に発表している(Bangkok Post)。実態はさらに厳しい可能性がある。2024年には却下率が70%を超えたとの報道もあり、足元の信用環境は悪化の一途をたどっている。
背景にあるのはタイの家計債務だ。2025年第4四半期時点で16.44兆バーツ、対GDP比86.7%(Nation Thailand報道)。タイ中央銀行(BOT)が「長期的な経済成長を阻害する」と警告する80%ラインを大きく超え、新興国平均の60%を遥かに凌ぐ水準にある。
BOTは2025年1月に「Responsible Lending」通達を改訂し融資基準を厳格化。商業銀行の融資は4四半期連続マイナス成長で、20年以上で最長の信用収縮に入っている(Krungsri Research)。
燃料価格の高騰は家計を直撃し可処分所得を圧迫する。EVが欲しいという気持ちと、ローンが通るという現実の間には、対GDP比86.7%の家計債務という壁がある。132,951台の予約が示しているのは、タイ国民のEVへの「願望」の大きさであって、「購買力」の大きさではない。
2025年の「答え合わせ」で見えること
昨年(2025年)のモーターショー予約台数と、2025年の年間実販売台数(FTI/Bloomberg発表の621,166台)を突き合わせてみる。予約が本当に実売に転換されているなら、両者の間に合理的な整合性があるはずだ。
| ブランド | MS2025予約 | 2025年間販売(推定) | 予約/年間比率 |
|---|---|---|---|
| トヨタ | 9,615台 | 約236,000台 | 4.1% |
| ホンダ | 5,948台 | 約74,500台 | 8.0% |
| BYD | 9,819台 | 約42,900台 | 22.9% |
| GAC Aion | 7,018台 | 約15,000〜20,000台 | 35〜47% |
※年間販売はFocus2Moveのシェアデータ × Bloomberg発表の年間総販売621,166台から算出
2025年のモーターショーは3月24日〜4月6日の14日間。年間365日に対して3.8%の期間に相当する。
トヨタの予約/年間販売比率は4.1%で、イベント期間3.8%とほぼ一致する。 通常の販売ペースとほぼ同じ速度で成約しているということだ。全国に張り巡らされたディーラー網と、Toyota Leasing Thailandによる自社ファイナンスが、この安定した転換率を支えているとみられる。
一方、BYDの22.9%は期間比率3.8%の約6倍。14日間で年間販売の約4分の1が「予約」される計算になる。GAC Aionに至っては35〜47%。年間販売の3分の1以上が14日間に集中している。
この不自然な比率が示唆するのは2つ。第一に、中国ブランドはディーラー網がまだ発展途上のため、モーターショーのような大型イベントに販売を集中させる戦略をとっていること。第二に、そしてこちらがより重要だが、予約の相当部分がローン審査落ちやキャンセルで実売に転換されていないこと。FTIの公式オートローン却下率30〜40%(実態はさらに高い可能性)と、この数字は整合的だ。
中国EVブランドの多くは40万〜70万バーツの低価格帯で激しい値下げ合戦を展開している。この価格帯の購入者層は、まさにBOTの融資引き締めが直撃する層と重なる。キアトナキンファトラ銀行の担当者はNation Thailandに対し「EV価格が継続的に下落しており、差し押さえた車を売っても採算が合わない」と語っている。
2026年に外挿すると
BYDの2026年モーターショー予約は17,354台。仮にBYDの年間販売が2025年比50%成長で約64,000台に達したとしても、予約はその27%を占める。依然として異常に高い。
トヨタの15,750台は、年間販売を2025年並みの約236,000台と仮定すれば6.7%。イベント期間比率(12日間/365日 = 3.3%)の約2倍で、モーターショーの販促効果として説明可能な範囲に収まる。
モーターショーの見出しはBYD 17,354台 vs トヨタ 15,750台だが、実売ベースではトヨタが逆転している可能性がある。少なくとも、1,600台の差がそのまま実力差を反映しているとは考えにくい。
Netaが証明した「安くて多い」の脆さ
中国勢の「数で攻める」戦略にはもうひとつのリスクがある。ブランドの持続可能性だ。
2023年にタイEV市場の12%を握っていたNetaは、2025年に親会社の合衆新能源(Hozon)が破産手続きに入り事実上崩壊した。ディーラー網は60店から40店に縮小。修理や保険請求に最長10ヶ月待ち。定価56.9万バーツのNeta V-IIが28万バーツで投げ売り。集団訴訟の動きも出ており、タイ上院の商業・産業委員会が重大案件として認識する声明を発表している。
BYDも2025年10月にTangとYuan Proの11.5万台超を対象に過去最大のリコールを実施。バッテリーシールの不適切な取り付けやモーターコントローラーの設計不良が原因だ。
野村総研タイランドの山本氏はNikkei Asiaに対し、「Netaの問題は消費者を不安にさせ、中国車離れにつながる」と分析。Deloitte 2025年調査では、タイにおける内燃機関車(ICE)への選好が2024年の32%から2025年に36%へと逆に上昇した。
タイ政府の風向きも変わりつつある
タイ政府のEV政策が中国メーカーに構造的有利を与えていることは事実だ。ISEASの試算では、ACFTAのゼロ関税とEV補助金の組み合わせで中国EVは日本車に対し7.2%〜50.1%の価格優位を得ている。日本のEVには20%の輸入関税がかかる一方、中国EVはゼロ。
だがNeta破綻を受けて、タイ政府はスタンスを修正し始めている。2025年にはバンコクと東京の間で政府間協議が行われ、タイ側がハイブリッドを含むマルチパスウェイ戦略の重要性を強調した。まさに日本メーカーが主張してきた路線だ。
BOTの融資引き締めも、「補助金で安くしてもローンが通らなければ売れない」という現実を突きつけている。
日系企業に残された手札
トヨタのHilux Travo-eは、タイ製EVとして2026年に発売を開始した。年間5,000台の生産を計画し、うち500台がタイ国内向け、残りは欧州やASEANへの輸出。4月にはマレーシアでもタイ製完成車として販売が始まった。
「中国がEVの輸入拠点としてタイを使う」のに対し、「トヨタがEVの輸出拠点としてタイを使う」。この対比は重要だ。マツダも初のEV「6e」がモーターショーで3,062台の予約を記録している。
何より、60年以上かけて築いたディーラー網、アフターサービス体制、部品供給網という「信頼のインフラ」は、2〜3年で複製できるものではない。Netaの破綻が突きつけたのは、車を売ることより、売った後の体制を維持することの方がはるかに難しいという事実だ。
数字の裏側
132,951台は確かに衝撃的な数字だ。
だがその3〜4割がローン審査で消え、低価格EVほど転換損失が大きく、ディーゼル50バーツのパニックが予約を膨らませている。電力の85%を化石燃料に依存する国で「EVなら安い」が中長期的に成り立つかも不透明だ。
2025年の答え合わせが示す通り、トヨタの予約は年間販売ペースと整合しており堅い数字だ。BYDの予約は年間販売の4分の1以上がモーターショーに集中する構造で、相当数が実売に転換されていないとみられる。
中国EVがタイ市場で存在感を増しているのは紛れもない事実だ。だがモーターショーの予約台数だけで勝敗を判断するのは、まだ早い。
参照:
- Bangkok Post: Bangkok Motor Show took orders for 135,000 vehicles
- Nation Thailand: Motor Show bookings hit record high
- Nation Thailand: Household debt climbs to 86.7% of GDP
- Bangkok Post: Auto loan rejections could hit 40%
- Bloomberg: Thailand's 2025 Auto Sales Climb to Two-Year High
- GlobalPetrolPrices.com: Thailand electricity prices
- Maverick Consulting Group: Thailand EV Policy 2026
- ISEAS Fulcrum: Time to Rebalance the Wheels
- Euronews: BYD makes largest recall of 115,000 cars
- KR-Asia: China's Neta in deep trouble in Thailand
- Deloitte 2025 Global Automotive Consumer Study
- paultan.org: 2026 Toyota Hilux EV in Malaysia

