タイで外国人が事件を起こして逮捕されるたび、実は何か月も、あるいは何年も不法滞在していたと判明することがある。指紋も顔写真も入国記録もそろえているはずのタイで、なぜオーバーステイ(不法残留)が見過ごされるのか。タイの英字メディア、ザ・タイガーが、入管制度の抱える「分かっているのに捕まえられない」というギャップを掘り下げている。
国はオーバーステイ者を「把握している」
タイの入管は、想像以上に多くのデータを握っている。入国時には指紋と顔画像を採取し、2025年5月からは紙の出入国カードに代わってデジタル入国カード(TDAC)の提出を義務づけた。長期滞在者には90日ごとの住所報告、滞在先の貸主には外国人の宿泊を届け出るTM30という仕組みもある。出国記録が入国記録と一致しなければ自動的に印が付き、2026年時点ではオーバーステイ者を自動で割り出す中央データベースも整っているという。
それでも摘発につながらないのは、システムが受け身だからだ。データ上で印が付いても、自動的に取り締まりが始まるわけではない。空港での出国時、手入れ、近隣からの通報、あるいは別の事件で逮捕されたときなど、特定のきっかけがなければ表面化しない。目立たず暮らしていれば、検挙を逃れ続けられてしまう。
5000万件で限界に達した生体認証
背景には技術的な限界もある。生体認証システムは登録容量の5,000万件に達し、2023〜2024年のおよそ1,700万件の入国を手作業で処理せざるを得なかったという。後継システムは約30億バーツの予算で開発が進むが、完成までには約29か月かかる見込みとされる。
実際の事件もこの構図を物語る。2026年6月にパタヤで起きた建物管理人への酸攻撃事件では、逮捕された40代の英国人男性が、2月に期限切れとなった許可のまま滞在していたことが入管の照会で初めて判明した。ウドンタニで起きた生後2週間の乳児死亡に関わった外国人カップルも、3月から不法滞在していたことが事件の捜査で分かったという。
取り締まりは「政治の波」
現在、タイは「入国させない、滞在させない、逃がさない」と銘打った取り締まりを進めている。1〜5月だけで2万9,490件の入国拒否、1万4,161人のオーバーステイ・不法就労者の逮捕、668件の学生ビザ取り消しがあり、チョンブリ県だけで147回の作戦が行われた。収容施設には5年ぶりの多さとなる600人超が送還を待っているという。
ただ、こうした強化はコロナ禍(2020〜2023年)の緩い運用の反動でもあり、一貫した政策というより振り子のように揺れてきた。2025年には観光客数が約7%減と、パンデミック以外で初めて前年を割り込んだ。中国人客の落ち込みが主因だが、正規の旅行者が説明のないまま入国を断られる例もあり、業界からは不満も出ている。
罰則と、残された課題
オーバーステイには1日500バーツ、上限2万バーツの罰金が科され、滞在期間や自主出国かどうかに応じて1〜10年の再入国禁止が付く。自首すれば軽く済む一方、摘発されると重くなるため、取り締まりにムラがあると不公平感が生まれる。
ザ・タイガーは、新しいパスポートで経歴がリセットされない仕組みへのデータベース刷新や、入管・警察・国際刑事警察機構(インターポール)の連携、そして取り締まりを一時的なキャンペーンではなく日常的な業務として続けることが必要だと指摘している。把握はできている。問題は、その情報を生かせるかどうかにある。