タイでは、政府や企業への批判を投稿すると、たとえそれが事実に基づき、過激な言葉を含まなくても、数週間後に名誉毀損の訴状が届くことがある。こうした、相手を黙らせることを狙った訴訟は「SLAPP(スラップ)」と呼ばれ、タイ語では「口封じ訴訟」を意味する言葉で知られる。勝つことより、相手を金銭的・精神的に疲れさせることが目的とされる。タイの名誉毀損は刑事罰の対象でもあり、その重さが問題を深刻にしている。
「黙らせる」ための訴訟
SLAPPは「Strategic Lawsuit Against Public Participation(市民の声を封じる戦略的訴訟)」の略で、批判や告発を黙らせる目的で起こされる。原告になるのは企業や政治家、官庁、有力者などで、訴えられるのは記者や人権活動家、一般市民、労働環境を告発した投稿者などだ。特徴は、SNSの投稿一つに数億バーツもの法外な賠償を求めたり、複数の裁判所や遠方の裁判所に分けて提訴したりすること。狙いは勝訴ではなく、被告を訴訟対応で疲れさせ、口をつぐませることにある。
事実でも守られず、刑事罰もある
タイの名誉毀損が厄介なのは、二つの点にある。一つは、内容が事実であっても必ずしも免責されないこと。もう一つは、名誉毀損が民事だけでなく刑事の罪にも問われる点だ。出版やオンラインでの名誉毀損には、最長2年の禁錮と20万バーツの罰金が科されうる(刑法328条)。さらにコンピューター犯罪法が、正確な情報の公開に対してすら適用されることがあり、告発する側のリスクは大きい。早い段階で訴えを退ける仕組みも乏しく、裁判が何年も続くことがある。
タマカセット事件が示したもの
象徴的なのが、養鶏会社タマカセットをめぐる事件だ。同社の労働環境の問題が告発されたあと、同社は22人を相手取り、36件を超える名誉毀損訴訟を起こした。裁判所は後に大半を退け、労働環境についての訴えは正当なものだと判断したが、訴えられた側は長期間、訴訟への対応を強いられた。一件ずつは退けられても、訴え続けること自体が相手への圧力になるという、SLAPPの構図をよく表している。
動き出した「口封じ訴訟」対策
こうした状況に、対策の動きも出てきた。2026年5月25日、最高裁長官は「悪意ある刑事訴追に関する勧告」に署名した。法律そのものではないが、裁判所が、公共の利益にかかわる発言を狙ったような疑わしい訴訟を早い段階で退けられるようにする指針だ。とはいえ、SLAPPを直接規制する法律はまだなく、米国では40州が、EUも2024年に対策を導入しているのと比べると、整備はこれからだ。タイは報道の自由度ランキングで世界85位とされ、表現の自由をめぐる課題は根深い。批判的なレビューや投稿が思わぬ訴訟につながりうる点は、タイで発信する人が頭の片隅に置いておきたい現実だ。