カンボジアのインターネット上で3月下旬、タイを代表する料理トムヤムクンの起源はクメール人にあるとする主張が急拡散した。「古代クメール人がシャム(現在のタイ)を統治していた数百年前に考案した料理だ」として、ユネスコ無形文化遺産の認定をカンボジアにも付与するべきだと訴え、さらに料理名をクメール語に由来する名称に変更するよう求める声も上がった。
「酸辣海鮮」への改名要求
主張の中心にあるのは、「タレー・プリアオ・ペッ」(酸っぱく辛い海の幸)や「クン・プリアオ」などクメール語由来の名称への改称要求だ。トムヤムクンは2024年11月にユネスコ無形文化遺産に登録されたばかりで、その直後のタイミングでのクレームとなった。
タイのSNS上では即座に反論が相次いだ。最も説得力ある反論は、「トムヤムクンに不可欠な唐辛子はアユタヤ時代にポルトガル商人がアメリカ大陸から持ち込んだもので、クメール統治時代には存在しなかった」という歴史的矛盾の指摘だ。唐辛子はコロンブスの新大陸発見(1492年)後に旧世界に広まったもので、15世紀以前には東南アジアに存在しなかった。
食文化論争はタイ・カンボジア間で繰り返されてきた
こうした食文化の起源をめぐる論争は今回が初めてではない。カンボジアでは以前にも「ムー・グラティップ」(豚の鉄板焼き)をクメール語名に改める運動が展開された。また、タイとカンボジアの間ではムエタイの起源やアンコール遺跡に関する歴史解釈をめぐる論争も定期的に起きている。
東南アジアでは複数の国にまたがって料理文化が発展しており、単一の「起源国」を特定すること自体が難しいケースも多い。タイのカオマンガイはハイナンチキンライスと並行して発展したとされ、パッタイも中国麺料理の影響を強く受けている。「起源の政治化」は特定の国家への帰属意識を強調する政治的意図を帯びやすい。
ユネスコ登録が火に油を注いだ
今回の論争で特筆すべき点は、ユネスコ無形文化遺産登録という国際的な枠組みが絡んでいることだ。ユネスコの無形文化遺産は申請国の固有の遺産として登録されるため、タイへの登録がカンボジア側に対抗意識を生じさせた可能性がある。
タイ政府からの公式な反応は現時点では確認されていないが、民間レベルでは「タイの文化遺産を守るべきだ」との声が広がっている。料理を通じた文化アイデンティティの主張は、近年の東南アジアでは珍しくなく、今後も繰り返されるテーマになりそうだ。