タイ労働省の労働委員会(บอร์ดค่าจ้าง / Wage Board)は2026年5月26日、129職種の技能基準賃金(ค่าจ้างตามมาตรฐานฝีมือ / Skill Standard Wage)の引上について審議し、引上ベースを2.9%とすることで合意した。最終的な引上額は職種ごとに個別審議し、90日以内に結論を出す方針。同会議は、労働省次官のワンナポン・コチャラック警察大佐(พ.ต.ท.วรรณพงษ์ คชรักษ์)が主宰し、労働福祉・労働者保護局長のサローット・コムカイ大尉(ร.อ.สาโรจน์ คมคาย)、労使両側の代表が参加した。タイの労働市場は、AIによる職業代替リスク、EVシフトに伴う雇用構造の変化、外国人労働者依存、最低賃金引上など複合的な変化に直面しており、技能基準賃金の見直しは、構造的な労働力市場のリバランスを意図した重要政策となる。日系企業がタイで雇用する技能労働者(技能職人、技術者、保守作業者など)の賃金コストにも影響する内容で、ビジネス側の関心も高い。
2.9%引上ベース、各職種で個別審議
労働委員会の結論は以下の3つのポイント。
引上ベースを2.9%とした根拠は、現在のタイ経済の生産性向上率、消費者物価指数(CPI)上昇率、業界別の労働需給バランスなどを総合的に判断した結果。一律ではなく、各職種ごとの調整があるため、結果として2.9%より高い職種、低い職種が混在する形になる。
129職種の幅広い対象、技能労働全般
技能基準賃金の対象となる129職種は、タイの労働省が「技能基準賃金法(Skill Standard Wage Act)」のもとで定めた職種カテゴリ。代表的な分野は以下。
- 製造業: 機械工、電気工、溶接工、CNC工作員
- 自動車整備: 一般整備、エンジン専門、電装、塗装、ボディ
- 建設業: 大工、左官、配管工、電気工、塗装工
- 飲食業: シェフ、和食調理人、洋食調理人、製パン、製菓
- 美容業: 美容師、エステ、ネイル、メイクアップ
- IT: ソフトウェア開発、ネットワーク管理、データ入力
- ホテル業: フロント、ハウスキーピング、ベル
- 翻訳・通訳: 各種言語
これらの職種で、特定の技能レベルに達した労働者には、最低賃金より高い「技能基準賃金」が法的に保証される仕組み。
新技術導入で職種ごとの審議が複雑化
労働委員会の会議で議論された重要ポイントは、新技術導入による職種ごとの状況変化。具体的には以下のような変化。
- AI: 翻訳・データ入力・基本的なコーディングの一部代替
- ロボティクス: 製造業の単純作業の代替
- EV化: 内燃機関整備士→電動駆動系整備士へのスキルシフト
- デジタル化: 受付・基本的事務処理の機能変化
これらの技術変化を、賃金算定にどう反映するかが、各職種の個別審議で焦点となる。AIで業務が縮小する職種は引上幅を抑制、新技術関連の職種は引上幅を拡大、というメリハリのある対応が求められる。
労使両側の代表、合意形成のプロセス
労働委員会は、政府代表(労働省次官+局長)、労働者代表(労働組合連合)、雇用主代表(タイ工業連盟FTI、タイ商工会議所など)の3層で構成される三者構成。賃金引上は雇用主にコスト増を強いるため、労使対立が起きやすい議題だが、本日の会議では「2.9%ベース」で合意形成に達したことが報じられた。
ただし、個別職種の引上幅については、副委員会(คณะอนุกรรมการ / Sub-committee)で詳細を詰める作業が引き続き必要。労使双方の代表が副委員会に参加して、職種ごとの状況に即した結論を出すプロセス。
90日後の最終結論、適用時期
労働委員会は90日以内(2026年8月下旬目処)に最終結論を出す方針。結論が出た後、王立官報(Royal Gazette)への公布、適用開始日の決定、雇用主への通知などのプロセスを経て、実際の適用開始は2026年第4四半期〜2027年初頭になる見込み。
タイ最低賃金との関係、技能基準賃金は上乗せ
タイには「最低賃金(Minimum Wage)」と「技能基準賃金(Skill Standard Wage)」の2層構造がある。
- 最低賃金: 全国一律で職種に関わらず適用される基本最低額。県ごとに微差あり(2026年は1日約330-400バーツ)
- 技能基準賃金: 特定技能を持つ労働者に対する追加保証額。最低賃金より高い水準が設定される
今回の労働委員会の審議は、後者の「技能基準賃金」の引上。最低賃金そのものは別途審議(通常は年1-2回見直し)。
NESDC失業データとの整合性
本日午前にNESDCが発表したQ1/2026社会状況報告(関連:タイNESDC失業39万人+9.9%、GenAIで870万人リスク+高リスク220万人)では、失業者39万人増加・GenAIで870万人リスクと厳しい数字が示されていた。本日の労働委員会の技能基準賃金引上審議は、こうした失業リスクへの対応として、技能労働者の市場価値を維持・向上させる政策意図が含まれている。
製造・ホテル・自動車・ITの4業界で人件費コスト構造的増加
タイで事業展開する日系企業にとって、本決定は人件費コストの構造的影響をもたらす。具体的には。
- 製造業: 工員・整備士・電気工の賃金コスト増
- ホテル業: 客室係・調理人・フロントの賃金コスト増
- 自動車関連: 整備工・専門技術者の賃金コスト増
- IT: プログラマー・ネットワーク技術者の賃金コスト増
人件費の構造的増加は、企業の収益性と価格戦略に直接影響するため、本決定の最終結果(90日後)を待たずに、業界別の予測と対応策の検討を進める動きが活発化する見込み。
日系企業のタイ人マネージャー報酬には連動の可能性
タイ国内で働く日本人駐在員の賃金は、技能基準賃金とは別の基準(=本国給+海外手当+生活手当)で決まることが一般的。タイの技能基準賃金が2.9%引上されたとしても、日本人駐在員の給与水準とは依然として2-5倍の乖離があり、直接の比較対象にはならない。一方、日系企業のタイ法人で長期キャリアを積むタイ人スタッフの「現地責任者」「現地マネージャー」レベルの賃金は、技能基準賃金の動きと連動する可能性がある。
