タイ厚生省(สธ.)が、新制度「アサパヤバン(อาสาพยาบาล、ボランティア看護師)」の募集を2026年6月に開始することを公表した。応募はタイ国民向け公式アプリ「Mor Prom(หมอพร้อม)」経由。対象年齢は22〜70歳と幅広く、訓練修了後すぐに2年契約で雇用される。給与は月15,000バーツ以上が想定されている。
タイ国内では深刻な看護師不足が続いており、地域医療・高齢者介護・公衆衛生事業の現場で慢性的に人手が足りない状況。厚生省はこの制度で、退職後の元看護師や、看護学校卒業前の若手予備軍を労働力として確保したい狙い。一方、専門看護師(พยาบาลวิชาชีพ)からは「正規職の月給18,000バーツと比較して制度設計が中途半端」という批判の声も上がっている。
制度の概要
タイ厚生省の発表とBangkok Biznews・The Coverage Info各紙の報道を整理すると、新制度の骨子は次の通り。
- 募集開始: 2026年6月(予定)
- 申込み方法: Mor Promアプリ経由
- 対象年齢: 22〜70歳
- 訓練期間: 詳細未公表(数週間〜数ヶ月の見込み)
- 契約期間: 訓練修了後即2年契約
- 給与: 月15,000バーツ以上(タイ全国最低賃金とほぼ同等)
- 配属先: 地域保健所、初期医療センター、高齢者介護施設等
「Mor Prom」は新型コロナ対応で開発されたタイ厚生省の公式アプリで、現在は予防接種記録・健診予約・処方箋管理など医療関連サービスのハブとして機能している。今回のアサパヤバン募集も、本人確認・スキル登録・配属管理を一元化する仕組みとして組み込まれる。
「アサパヤバン」と「パヤバン・アーサー」の違い
タイ語で混同されやすい2つの呼称がある。
「アサパヤバン(อาสาพยาบาล)」は今回の新制度で、訓練を受けた人を「正式雇用のボランティア看護助手」として配属する仕組み。給与・契約・社会保険が伴う「準職員」的な扱い。
「パヤバン・アーサー(พยาบาลอาสา)」は既存の概念で、純粋なボランティアとして災害現場・地域イベントで医療支援を行う「無報酬」の活動者。
ハフォーカス(Hfocus.org)に登場した医師スパット氏は「アサパヤバンは幻想、パヤバン・アーサーこそ本物」とコメントし、新制度の構造に違和感を示した。専門職域の重複・職権の不明確性を懸念する声と読める。
制度設計の論点
タイ国内の医療現場から指摘されている制度設計の論点は次の通り。
専門看護師の月給は最低18,000バーツ、4年制看護学部卒業後すぐの新人でも同水準が保証される。今回のアサパヤバン15,000バーツは、看護師資格を持たない人材を対象にしているとはいえ、専門職との給与差が小さく、「現場で正看護師の業務を代行させられて、結果的に医療事故のリスクが高まる」という懸念。
訓練期間の短さ。看護師正規養成は4年だが、アサパヤバンは数週間〜数ヶ月の短期訓練で現場配属となる見込み。基礎医学・看護倫理・救急対応の習得が十分かどうか、医療業界団体から疑問の声。
70歳まで対象を広げた点。退職した看護師・元医療従事者を再雇用する目的なら合理的だが、看護経験のない一般人が70歳近くで現場に配属される場合、本人の体力面・現場対応力の問題も浮上する。
タイの看護師不足の現状
タイの看護師不足はここ10年以上、繰り返し指摘されてきた構造問題。
タイ看護師協会の推計では、2025年時点で約20万人の看護師が登録されているが、必要数は約30万人。10万人前後の慢性的な人手不足が続いている。
主な要因は、待遇の悪さ(月給18,000バーツは生活費の高いバンコクでは厳しい)、勤務環境の過酷さ(夜勤・残業の多さ)、海外への流出(中東・欧州・北米・日本への移住)。タイで看護師資格を取った後、シンガポール・UAE・日本で働くケースは年々増加している。
厚生省はこれまで、看護学校の定員拡大、国費奨学金制度、地方勤務手当の上乗せ、といった対策を打ってきたが、効果は限定的。今回のアサパヤバン制度は、根本解決ではなく「現場の急場しのぎ」として位置づけられる。
関連背景
タイで暮らす日本人駐在員家庭にとって、看護師不足とアサパヤバン制度の話は、直接的な影響というより、医療サービスの質の問題として無視できない。
タイで通院・入院する際、看護師の対応が遅い・処置が雑、と感じた経験のある駐在員は少なくない。背景には人手不足があり、新制度で人数は増えても、質が下がる可能性は否定できない。
民間病院(ブムルンラート、サミティヴェート、BNH、シリラート病院インターナショナル等)は、こうした公的医療の人手不足の影響を受けにくく、駐在員家族の主な選択肢として機能し続ける。だが、緊急時にどこの病院に駆け込めるかを事前に把握しておくと、いざという時の判断が早い。
タイで子供を育てる家庭は、小児科・産婦人科の評判の良いクリニックを複数知っておくこと、医療通訳サービスの連絡先を確保しておくこと、これらが現実的な備えになる。
まとめ
タイ厚生省のアサパヤバン制度は、深刻な看護師不足への対症療法的な施策。専門看護師からは制度設計への批判が出ており、施行後の運用が課題になりそうだ。在タイ日本人駐在員家庭は、医療の質に関する構造課題として、民間病院・医療通訳・緊急連絡先の3層構造で備えるのが現実的だ。