タイ東北部ムックダーハーン県で5月14日、部分的に麻痺を抱える66歳の女性ソムサーイさん(仮名)が、村民の一部から「ピーポップ」(タイ民俗の悪霊憑き)と疑われ、深刻なストレスで「数日間食べられず眠れない」状態に陥っていることが明らかになった。きっかけは5月5日の隣人女性の急死。村は世帯あたり100バーツずつ集めて出家費用を捻出、ソムサーイさんを尼として寺院に送り、事実上の村追放処理という形で結末がつけられた。タイ農村部に今も残る民俗信仰の闇を象徴する事案で、在タイ日本人にとっても農村社会の心理的構造を理解する手がかりになる話だ。
5月5日、隣人女性が腹痛で急死
事の発端は5月5日にあった。ソムサーイさんの隣人女性が、激しい腹痛を訴えた後に急死した。救急処置も間に合わず、村民の間に「なぜ突然死んだのか」「誰かの呪いではないか」という疑念が広がった。
村民の一部が「ピーポップ」と疑う
ターゲットとなったのが、ソムサーイさん(66歳)。タイ民俗信仰の「ピーポップ(ผีปอบ)」は、生きている人の体に取り憑く悪霊で、人の魂を食べたり病気・死をもたらすとされる存在だ。年齢の高い女性、ひとり暮らし、何らかの病気・障害を抱える人物が、村内で死者が出た際に「ピーポップ」と疑われるのは、タイ東北部・北部の農村で過去にも繰り返されてきたパターンだ。今回もソムサーイさんが部分的に麻痺を抱える障害者だったことが、疑念の対象になった。
本人「数日眠れず食べられず、霊媒行為などしていない」
ソムサーイさんの心情は深刻だ。「ここ数日、食べられず眠れない。深く傷ついた。私は霊媒行為など一切していない」と訴えている。一方で、村民の不安を解消するため、自ら出家して仏教尼(メーチー)になる決意を固めた。タイで「出家して仏門に入る」ことは、世俗的な疑念から本人を切り離す象徴的な行為で、村民への配慮としての選択でもある。
村が100バーツ集めて出家費用、事実上の追放処理
村民の対応は、世帯あたり100バーツ(約480円)ずつ集めて出家式の費用に充てるというものだった。集まった資金で寺院での出家式が執り行われ、ソムサーイさんは正式に仏教尼として寺に入る形となった。村との物理的・社会的な距離を作ることで、村民の不安を解消する仕組みだ。一見「みんなで応援」の体裁を取りながら、実質的には村から追い出すための行為と理解する見方もある。
隣人・親族の弁護「故人を日常的に助けていた」
ソムサーイさんを擁護する声もある。隣人・親族の一人は「実はソムサーイは亡くなった隣人を日常的に助けていた人。ピーポップではなく、ただ毎日障害と向き合って暮らしているだけ」と証言した。本人が出家を受け入れたのは、罪を認めたわけではなく、村の安心のためにやむを得ず選んだ判断、というのが擁護派の立場だ。
タイ農村部の民俗信仰と現代の人権
ピーポップによる差別は、タイの人権団体・社会学者が長年問題視してきた課題だ。村人同士の不安の捌け口として、最も弱い立場の人物が標的にされる構造は、現代の医療・法制度の隙間で今も残っている。今回のケースは、当事者の出家受け入れによって表向きは「収まった」が、66歳の障害を抱える女性が住み慣れた家を離れて寺院に入らざるを得ない結末は、決して幸せなものではない。
関連背景
直接巻き込まれる事案ではないが、地方部の現地スタッフ・家政婦の家族の話を聞く中で、「ピーポップ」「コンレッド(魔法使い)」「ピーカー(食人霊)」など、民俗信仰の存在に話題が及ぶ場面はある。日本人の目には「迷信」と映るかもしれないが、タイの農村部では今も生活に深く根付いた現実だ。直接的な議論よりも、相手の信仰・文化への敬意を持って耳を傾ける姿勢が、結果として相互理解につながる。



