タイ閣議が5月19日、労働省が提出していた「4分野の技能職標準賃金」を承認した。最低賃金とは別建てで、技能検定を通った労働者が受け取るべき1日あたりの目安賃金を国が定める制度で、今回は溶接(フラックスコア・MIG)、オフグリッドソーラーセル設置、産業用ロボット保守の4分野。レベル1で550〜630バーツ(約2,500〜2,900円)、レベル2で650バーツ(約3,000円)に設定された。
タイの一般職の最低賃金が地域・業種により380〜400バーツ前後で停滞している中で、技能を身につけた労働者は1.5倍前後の賃金を「制度として」保証される形になる。労働省が「技能育成へのインセンティブ強化と、将来産業を支える人材の確保が狙い」とする通り、賃金水準の話というよりは産業構造の話に近い決定だ。
4分野の中身と賃金水準
承認された4分野と各レベル別の賃金は次の通り。
- フラックスコア溶接工(ช่างเชื่อมฟลักซ์คอร์): レベル1=550バーツ/日、レベル2=650バーツ/日
- MIG溶接工(ช่างเชื่อมมิก): レベル1=550バーツ/日、レベル2=650バーツ/日
- オフグリッドソーラーセル設置工(ช่างติดตั้งระบบโซลาร์เซลล์แบบไม่เชื่อมต่อระบบโครงข่ายไฟฟ้า): レベル1=560バーツ/日
- 産業用ロボット保守工(ช่างบำรุงรักษาหุ่นยนต์อุตสาหกรรม): レベル1=630バーツ/日
施行日は官報(ラチャキッチャ・ヌベークサー)掲載から90日後。閣議承認は5月19日なので、官報掲載が早ければ6月、施行は早ければ9月、遅くとも年内には完全に運用に乗る計算になる。
「最低賃金」と「技能職標準賃金」の違い
この制度を理解するには、タイの賃金構造を分けて考える必要がある。最低賃金は地域別に設定され、現在バンコク・サムットプラカン・チョンブリは1日400バーツ、他の県は地域差で372〜380バーツ前後。すべての労働者が雇用主に対して請求できる絶対的な下限である。
一方、技能職標準賃金は労働省・技能発展局が運営する「タイ国家技能標準検定」に合格した労働者が、その職種に従事する場合の目安賃金。レベル1は基本的技能、レベル2は応用技能の証明にあたる。雇用契約や労使協議で、これを下回る賃金を設定することは事実上できない仕組みになっている。
今回承認された550〜650バーツの水準は、一般職最低賃金の1.38〜1.71倍。技能を持つ労働者には明確な賃金プレミアムを国が保証する、というメッセージである。
なぜこの4分野なのか
選ばれた4分野は、タイ政府が中長期で重視している産業領域と直結している。
溶接(フラックスコア・MIG)はEV・自動車部品・産業機械の組立工程で需要が伸びる職種。タイ製造業はEV化シフトでバッテリーケース・モーター筐体・サブフレーム溶接の需要が急増しており、品質の高い溶接工の確保が課題になっていた。
オフグリッドソーラーセル設置は、タイ国家エネルギー計画で2030年までに再生可能エネルギー比率50%目標を掲げる中、農村部・島嶼部・離島リゾートへのオフグリッド導入が拡大している分野。グリッド接続型は既存の電気工事士で対応できるが、オフグリッド型はバッテリー・インバーター設計まで含む別の技能体系で、専門家育成が遅れていた。
産業用ロボット保守は、タイ製造業のロボット導入数がここ5年で年20%前後伸びている中、現場保守人材が不足している分野。日系工場のロボット導入だけで毎月数百台規模の追加発注があり、保守要員は外国人エンジニア頼みの状況が続いていた。
労働省は今回の4分野指定で、「タイ国内で育てた人材で、これらの将来産業を回す体制を整えたい」という宣言をした、と読める。
関連背景
タイで工場・施工現場を運営する日系企業にとっては、賃金水準そのものより人事制度面の影響が大きい。
EMS(電子部品実装)・自動車部品・産業機械の工場では、これまで技能検定合格者と未合格者で賃金差を付けるかどうかは社内ポリシー次第だった。今後は「合格者にレベル1で550バーツ以上を払う」が事実上の必須要件になるため、社内等級表の見直しが必要になる工場が出てくる。日系工場ではすでに合格者にプレミアムを払っているケースが多いので、実害は限定的という見方が一般的だ。
産業ロボット保守については、これまで日本から派遣する駐在エンジニアか、シンガポール・マレーシアの認定エンジニアに外注するパターンが多かったが、タイ国内の認定技能者を雇う選択肢が増える。日系自動車部品メーカーや、機械商社の現地法人にとっては中長期で人材確保コストが下がる方向に効いてくる。
オフグリッドソーラーは、観光リゾート(島嶼部)・農場・倉庫オーナーが導入する場面で、認定済みの設置工を雇う制度的圧力がかかる。リゾート運営者の中には日本人オーナーもいるため、導入見積りを取る際は「タイ国家技能標準検定の合格者を派遣するか」を業者選定の確認項目に入れる方が安全だ。
まとめ
今回の4分野指定は、賃金引き上げニュースとして見ると地味だが、タイ製造業のEV化・再エネ化・自動化に追いつく人材政策、として位置づけると意味が深い。施行は早ければ9月、官報掲載から90日後と決まっているので、関連業界の経営者・人事担当者は施行前にHRポリシーを点検しておくのが現実的だ。