タイ電力規制委員会(ERC、กกพ.)報道官のプーンパット・リーソンバットパイブーン事務局長が5月18日、アヌティン首相の命令137/2569で設置された「民間電力購入問題見直し委員会」に対する技術的・法的支援を表明した。焦点は、再生可能エネルギー電力購入優遇制度(Adder/FiT)の「期限なし固定価格」契約の見直し。ERCの試算では、現行契約により国民が1ユニット(kWh)あたり13〜17サタング(約0.06〜0.08円)を過剰負担しており、年間数百億バーツの規模に達する。契約見直しが実現すれば、在タイ駐在員家庭・日系工場の電気料金が実質的に下がる可能性がある。タイの長年の懸案「再エネ契約価格の硬直性」が、ようやく構造改革のテーブルに上がる局面だ。
Adder/FiTとは何か—10年前の制度が今も電気料金を吊り上げている
Adder/FiTは、タイ政府が太陽光発電・バイオマス発電・小水力発電などの再生可能エネルギー発電事業者に対する「優遇電力購入価格」制度。
仕組みは次の通り。
第1に、Adder(アダー)。通常の電力購入価格に上乗せ料金(adder)を追加して支払う方式。太陽光は当初6〜10バーツ/ユニット、バイオマスは2〜3バーツ/ユニットを追加。
第2に、FiT(Feed-in Tariff、固定価格買取制度)。再エネ発電事業者から、固定価格で長期間(10〜25年)電力を購入する制度。
両制度の最大の問題は、(a)期限なしの長期固定価格、(b)契約締結時の高コスト水準を反映、(c)その後のコスト下落(特に太陽光発電パネル価格は10年で1/10以下)が反映されない、ことだ。
結果として、ERC試算では1ユニットあたり13〜17サタング(バーツの1/100単位、約0.06〜0.08円相当)を国民・事業者が過剰負担している。年間数百億バーツ規模の追加コスト。
アヌティン首相が委員会設置を命令
アヌティン首相は5月15日付の首相命令137/2569で、「民間電力購入問題見直し委員会」を設置した。
委員会の任務は次の通り。
第1に、Adder/FiT契約の現状調査と問題点の特定。
第2に、契約見直しの法的根拠の検討。
第3に、契約見直しによる電気料金引き下げ効果の試算。
第4に、再エネ事業者との利害調整。
第5に、最終的な政府への提言と実施計画の策定。
ERCはこの委員会に対し、(a)契約の詳細データ、(b)関連法令の解釈、(c)国際比較データ、を全面的に提供する。
法的根拠—2007年電力事業法第65条
ERCが見直しの法的根拠として挙げるのは、2007年電力事業法(พระราชบัญญัติการประกอบกิจการพลังงาน พ.ศ. 2550)の以下の条文だ。
第65条(1): 電力料金は「実費を反映」する必要がある。現在のAdder/FiT価格は実費を大きく上回るため、この条文に抵触する可能性。
第65条(4): 電力料金は「使用者・事業者の双方に公平」である必要がある。現在の状況は、(a)使用者(消費者・企業)が過剰負担、(b)事業者(再エネ発電業者)が過剰利益、というアンバランスを生んでいる。
ERCの法的解釈では、「契約の条件が法律の規定に反する場合、契約を見直す根拠となる」と主張する。
なぜ今、見直しが急務か—中東情勢と燃料高騰
今回の見直し検討の背景には、(a)中東情勢(イラン関連)による石油・LNG価格高騰、(b)石油基金の毎日25億バーツの赤字、(c)国民の電気代負担の限界、がある。
タイの電力構成は、(i)天然ガス(LNG輸入+国内ガス)約60%、(ii)石炭発電約15%、(iii)再エネ約15%、(iv)輸入電力(ラオス水力等)約10%、と分散している。
石油・LNG価格が高止まりする中で、(a)タイ電力公社(EGAT・MEA・PEA)の燃料調達コストが膨らみ、(b)Adder/FiTの優遇契約が「過剰負担」として目立ち、(c)消費者の電気代不満が高まっている、という構造。
ERCは「Adder/FiT見直しで電気料金を構造的に引き下げる以外の選択肢は限定的」との立場を示している。
過去のプラユット政権でも検討、しかし実現せず
ERCの示すデータは、実は2017〜2018年のプラユット・チャンオチャー政権時代から既に存在していた。
当時、ERCは国家エネルギー政策委員会(NEPC、กพช.)に対して同様の見直し提案を行ったが、(a)再エネ事業者の強い抵抗、(b)契約変更の法的リスク、(c)政治的決断の困難さ、で実現しなかった。
今回のアヌティン政権で再度俎上に載せられたのは、(i)中東情勢で燃料高騰が長期化、(ii)国民の電気代不満が政治問題化、(iii)新政権の改革姿勢、などの要因による。
関連背景
タイ駐在の日本人家庭の電気代への影響を試算する。
仮にAdder/FiT見直しで1ユニット15サタング(中央値)下がるとすると、以下の規模となる。
第1に、月間電気使用量300kWh(一般家庭)の場合: 月45バーツ(約200円)の削減。年540バーツ(約2,500円)。
第2に、月間使用量600kWh(戸建てまたは大きめのコンドミニアム): 月90バーツ(約400円)の削減。年1,080バーツ(約4,800円)。
第3に、月間使用量1,000kWh(プール・ジム付き戸建て): 月150バーツ(約670円)の削減。年1,800バーツ(約8,000円)。
第4に、日系製造業(月10万kWh規模): 月1.5万バーツ(約67,000円)の削減。年18万バーツ(約80万円)。
第5に、大規模工場(月100万kWh規模): 月15万バーツ(約67万円)の削減。年180万バーツ(約800万円)。
つまり、駐在員家庭の家計よりも、製造業の生産コストへの影響が大きい。日系自動車・電子機器メーカーのタイ工場には朗報。
再エネ事業者の反発が予想される
契約見直しが実現するかどうかの最大の障壁は、再エネ事業者の反発だ。
第1に、契約上の権利侵害。「期限なし固定価格」契約は、事業者にとっては将来収益の保証。
第2に、投資回収の見直し。10〜25年で投資回収を計画していた事業者には、計画変更のショック。
第3に、訴訟リスク。契約見直しが強行的に行われると、事業者からの損害賠償訴訟の可能性。
第4に、新規再エネ投資への影響。契約見直しが行われた前例ができると、(a)海外投資家がタイへの再エネ投資を控える、(b)タイの脱炭素目標達成が遅れる、リスク。
ERCはこれらのリスクを認識した上で、「法的根拠に基づく正当な見直し」と「事業者との利害調整」を両立させる方針を示している。
今後の見通し
委員会の作業は、(a)2026年中に契約見直し案の取りまとめ、(b)2027年から段階的に新契約への移行、(c)10年程度で完全切り替え、というスケジュールが想定される。
国民の電気代が実質的に下がる時期は、(i)2027年下半期から段階的、(ii)2028年に明確に効果が見える、(iii)2030年代に最大効果、と予想される。
タイ電力業界の構造改革
今回のAdder/FiT見直しは、タイの電力業界全体の構造改革の一環。
第1に、再エネ契約の合理化。
第2に、EGAT(タイ電力公社)の発電事業の効率化。
第3に、グリッド管理の高度化(スマートグリッド、需給予測AI)。
第4に、家庭・事業者向けの太陽光発電(PVR、屋上ソーラー)の普及促進。
第5に、ASEAN電力グリッド統合の進展。



