タイの民間医療と地方航空の両方で業界を切り拓いた大物実業家、プラセート・プラサトトンオーソット医師が4月21日、93歳で死去した。葬儀はバンコクのワット・テープシリンタラワート・ラチャウォラビハーンで営まれ、王室からの恩賜沐浴式(พระราชทานน้ำหลวงอาบศพ)と読経式が執り行われる。タイの医療・航空・経済界に長年にわたり影響を及ぼしてきた人物の逝去である。
プラセート医師は1932年3月22日、バンコクの中国系タイ人の家庭に生まれた。大学を卒業後、外科医としてキャリアをスタートし、その後医療経営に転身した。1972年にBangkok Hospitalを設立し、これを核とする医療グループBangkok Dusit Medical Services(BDMS)を成長させ、現在ではタイ最大の民間医療チェーンに育て上げた。グループ病院数は50以上に及び、東南アジア全体でも屈指の規模を誇る。
もう一つの代表作がBangkok Airwaysである。1968年に自身の小型機を使ったチャーター運航から始め、1986年に定期便免許を取得して航空会社として開業した。サムイ島への独自路線を開拓し、自社でサムイ空港を建設・運営する異例の戦略を採用したことで知られる。ブティック航空会社のモデルを確立し、地方観光の基盤を作った。
プラセート医師は長年、タイのフォーブス長者番付に常連として登場してきたビリオネアで、医療・航空・不動産を中心に資産を広げた。事業承継は息子のプッティポン氏らへ段階的に進んでいたが、本人はいくつかの役職を最後まで保持し、経営への助言を続けた。タイ経済界の大御所としての存在感は、いまも業界のDNAに深く刻まれている。
葬儀の場となるワット・テープシリンタラワート・ラチャウォラビハーンは、歴代の王族・大臣・大実業家の葬儀が営まれてきた格式の高い王室寺院である。王室からの恩賜沐浴式と読経式が執り行われるという扱いは、本人の社会的功績を国家が公的に認めたことを示す。タイ国内のメディアと業界団体は一斉に追悼メッセージを発している。
タイに滞在する日本人にとっても、プラセート医師のレガシーは身近である。サムイ島への旅行でBangkok Airwaysを利用した経験を持つ人は多く、Bangkok HospitalのBangkok International Medical Center(BIMC)は日本人患者の医療ツーリズムを支える主要拠点となってきた。タイの民間医療が国際水準に引き上げられた背景には、プラセート医師の長年の投資と人材育成があった。