タイの警察と麻薬取締当局が、覚醒剤の密造に使われる化学物質およそ50トンを押収し、大規模な麻薬密売ネットワークを摘発した。アヌティン首相が6月9日、サムットプラカン県の倉庫で発表した。押収された化学物質は、末端で錠剤型覚醒剤「ヤーバー」を11億錠も製造できる量で、タイで1年間に押収される量に匹敵する。結晶状の覚醒剤「アイス」に換算すれば21トン分にあたる。
化学物質50トンを4県10カ所で押収
摘発はバンコク、サムットプラカン、ラヨーン、ノンタブリーの4県にまたがり、計10カ所、3社を対象に行われた。押収されたのは5種類の化学物質で、アセトン9,105キロ、酢酸1万170キロ、硫酸4,500キロ、塩酸225キロ、フタル酸ジオクチル2万6,000キロの合わせて約50トンにのぼる。
いずれもプラスチックや染色、金属加工などの正規の工業用途を持つ薬品だが、麻薬の製造工程に転用できる。当局によれば、これらがそのまま密造工場に渡っていれば、ヤーバー11億錠分の原料になっていた。化学物質は、タイ・ミャンマー・ラオス国境のゴールデントライアングルにある密造拠点へ運ばれる予定だったとみられる。
韓国から送還された大物密売人「ヌーチェン」
このネットワークの中心人物とされるのが、「ヌーチェン」の通称で知られるタパナン容疑者(43)である。タイの麻薬捜査当局が最重要指名手配としてきた人物で、過去にサムットプラカン県バンプリーで摘発された約1,030万錠のヤーバー押収事件にも関与したとされる。
ヌーチェンは、自分が殺害されてメイ川に遺棄されたとする偽情報を流し、死を装って捜査の手を逃れたうえで、韓国に潜伏していた。逮捕状は60件を超える。韓国の国家情報院(NIS)が協力して身柄を拘束し、4月7日にタイへ送還された。タイの麻薬統制委員会事務局(ONCB)は、この人物の組織がタイに流入する麻薬の25〜30%に関与していたと見ている。当局の調べでは、この組織は覚醒剤11.5トン、ヤーバー2億7,100万錠、ケタミン5トンを複数の国にまたがって流通させていたとされる。送還後、当局は警察や特別捜査局(DSI)と連携し、ネットワークの資金や取引の解明を進めてきた。今回の化学物質押収は、その捜査が広がった結果だという。
電子タバコ用の麻薬成分にも関与
摘発対象となった企業は、タイ国内で違法行為を重ねる中国系の「グレー」グループともつながっていた。これらのグループは、化学物質を使って麻酔作用のある「エトミデート」を製造し、電子タバコの液体に混ぜていたとされる。エトミデートは規制対象の向精神薬で、関連する摘発はすでに4回に及んでいる。
タイでは近年、麻薬成分を混ぜた電子タバコの「ポッド」が若者の間で問題となっており、今回の化学物質ルートの解明は、その供給網にも切り込むものとなる。
ゴールデントライアングルと続く麻薬流入
ゴールデントライアングルは、世界有数の合成麻薬の生産地として知られる。完成した覚醒剤がタイへ流れ込む一方で、その製造に欠かせない化学物質は、タイや周辺国を経由して工場へ運ばれている。当局が前駆体となる化学物質の押収に力を入れているのは、麻薬そのものを末端で押さえるだけでなく、製造の根を断とうとしているためだ。
アヌティン首相は、国内外を問わず麻薬と関連物質の取り締まりを徹底する方針を強調した。完成品11億錠分の原料を市場に出る前に押さえた今回の摘発は、その供給網を断つ取り組みの一つと位置づけられる。